独り言多めの読書感想文

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付録1、五十嵐壮太は橙【後編】

 けれども時を同じくして〈退屈から逃れるためにわざと波立てずにいられなかった〉癇癪のツケが回ってくる。平穏な人間関係。平和が尊いなんて、実際失ってみないと気づけない。私の口にした陰口が巡り巡って裏で手を繋いだ。目配せ。点が線になる。そういえばあの子、こんなことも言ってたよ。噂は尾鰭をつけてまわっていく。
 静かに、けれどあっという間に人が離れた。明確に、物理的に取られる距離。しまった、と思った時にはもう遅かった。根回しするヒマなんてなかった。すでに誰も私の声を聞く耳を持っていなかった。

 

 そんな時、唯一変わらなかったのは五十嵐くんだった。作品本編、本物の五十嵐くんとの共通項は「この中で最も力を持つ者」
 相手を笑わせることに全力を注いできた片割れは、私の異変に気づくと顔を上げた。二人だった関係が社会に変わる。
 元々五十嵐くんに意見する女の子はこのクラスにはいなかった。「あまり関わらない方がいい」と避け始めた私と周りの様子を見て、ああと五十嵐くんは気づいた。
 変わらぬ口調をあしらう私のことを、笑いながら「怖い」と言い、それから五十嵐くんは私のことを「ボス」と呼ぶようになった。

 

 お前らが悪いんだ。

 

 同じ班の女の子を指差す。五十嵐くんは橙の笑顔のまま「ボスに礼」と言った。
 ヒュッと喉が鳴る。
 見えない力。五十嵐くんに女の子は誰も逆らえない。ただ自分がしてきたことの報いを受けている私に、指差された女の子が頭を下げる。五十嵐くんは笑いながら指差す相手を変える。
「ボスに礼」
 やめて。
 五十嵐くんは知らない。確かに表面に見えているのは「仲間に入れてもらえない私」で、そのために笑わなくなった。けれど五十嵐くんだけがまだ同じ場所でどっちがより相手を笑わせられるか勝負を続けていた。指差す相手を変える。
「ボスに礼」
 これでもかとうれしそうにする。私は笑えなかった。全然笑えなかった。

 

 温度差。
 ただ「クラス内でいじめが発生してます」なら割と聞くことだとしても、その原因が被害者側にあって、けれども加害者側が頭を下げるという構図は聞いたことがない。
 さらに冷たくなっていく同性。
 にわかに色づき始めるは異性。
 社会は何か事件が起こった時、その動機を知りたがる。何故そうしたのか、そこに至るまでの物語を求める。

 

 ある日、ゴミを捨てて教室に戻ってきた時、中から大きな声がした。

「お前、速水のこと好きなのかよ」

 ドアの手前で足を止める。そのまま動けなくなった。
 いつか退屈から逃れるためにわざと立てた波にのまれる。息ができない。
 本当の報い。それは「大切な友人を失うこと」だった。

 

 私視点で言えるのは、五十嵐くんにとっての私は決してそんなものではなかった。ただ並んでお菓子を頬張って笑い合っているだけで、本当に、そんなんじゃなかった。
 けれどたぶん五十嵐くんは「あれ、そうなのかな?」と思った。今ある気持ちをカテゴリ分類しようとして、そうなのかな、が、そうかもしれない、に。周りが囃し立てれば囃し立てる程、盛り上げれば盛り上げる程、無責任なおもりが徐々に天秤を傾けていった。誓って言える。私たちの関係を変えたのは社会だ。同じく腹の中で退屈を抱えていたクラスメイトが、分かりやすい遊び道具を見つけて、それで遊び始めたからだ。

 

 すると今度は五十嵐くんが私を避けるようになった。本当の自分の気持ちが分からなくなって、分かりやすく動揺していた。私はまだそれでもどこかでまた元に戻れるんじゃないかと思っていた。性差なく、先生に怒られないラインを探りながら、ただ笑い合うために。
 望んだのは逃げる時片方が手を引くような関係じゃない。別の方向に迷わず駆け出して、少ししてしれっと戻ってくる、互いに「アイツは大丈夫だ」とテメエの身の安全を最優先に考えられるような、そんな信頼で繋がれるような。

 

 けれど現実甘くはなかった。
 私たちはクラス替えを機にきちんと離れ、それ以降二度と関わることはなかった。

 

 

 

 

 

 本作では教室内の出来事が主であり、外に出たとしても修学旅行ぐらいだ。だからグラウンドも橙も出てこない。けれど〈教室が十個あれば五十嵐壮太は十人いるし、修学旅行のバスが十台あれば、それぞれの一番後ろの席にはそれぞれの五十嵐壮太が座っている。“五十嵐壮太“はその人の個性ではなく、一つの教室に必ずひとつは用意されている枠に収まっている人間の総称のようなものなのだ〉としているように、私にとっての五十嵐壮太はその子だった。同じ退屈を共有した、同じ退屈に対抗する術を模索していた、同じ感性で笑い合える仲間だった。どうしようもなく幼いいたずらを、同じ温度で楽しめる唯一だった。
 だから本書で用意された舞台の季節がなんだろうと、私にとっては夏で、夕方の、長くていつまでも続く橙。大人になってからの束の間の夏休み、心にゆとりができて、148Pから久しぶりに思い出したのはただの橙。曇ることないまっさらな笑顔。

 

 思い出。もう会うことはないけれど、もし一言だけ伝えられるとしたら。
 体操服に砂を入れててバレたあの時、思いっきり「コイツ」という目をしながら、けれど最後まで私もやっていたことは言わなかったの、今更ながら「悪かったな。ありがとう」

 

 五十嵐壮太は橙。
 とてもキレイで底抜けに明るい、まっすぐな友情の色。