独り言多めの読書感想文

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付録2、ダイヤの5の言い分【前編】

 大富豪において、どうして3から順に強くなっていくのか。それはCから始まるコードがごとく、初見で「ん?」となること必須。ただ、何か訳があったからに違いない。その訳とやらを、仮に「最低限己が意思を持つ者の目安」としてみる。最も弱いのは3、つまり3歳。そこから順に成長していく。絵柄に変わる11から年齢ではなく中、高、大。そうして1、2は完全な大人。自在に立ち回れるジョーカーはこの場合、道化師の格好をした老人に当たるのだろう。あまねく祖父母は孫に弱い。目線を合わせるためにかがむ様は、駄々をこねるスペードの3にたやすく負けを宣言するかのよう。さて。

 

 ダイヤの5である。以前も少し話した通り、私の中には5歳児がいる。世間一般からしたら確実に弱いくせにプライドばかり高く、ヘソを曲げないように気を遣う、とんでもなくめんどくさい年齢だ(ウソ。めんどくさいのは私個人だ)
 正しいと分かっていてできないこと。
 集団行動。時間を守る。感情的にならない。
 己が心地よさ最優先で今尚生き続けている社会人は、まさかの小学6年生にさえ満たない。よく分かんないなりに足並み揃えて、同じ色に染まれるように、波風立てないように。緊張感から最初は頑張るが、経年でボロが出る。
 ここまでは大丈夫。ここまでも大丈夫。そうしてそうっとそうっと可動範囲を広げていく様は「だるまさんが転んだ」。気づいたらめっちゃ近づいてる。いやちっか! と距離感違えやすいのも特徴の一つ。だから発生しがちな当たり屋コミニュケーションは、害意こそないのだけれど、大概びっくりされるから、余分に増した心拍数の分だけストレスは強いているのかもしれない。
 とにかく己が心地よさ照準で生きる「実写版美知代」は、心地よさの中でも最上に「自由」を掲げていた。そのために、自分がしたいことを選べるだけの「金銭」「時間」「精神的余裕」に重きを置く。結果的に選ぶのは内一つだとしても、そこに「自分が選んだ」というバックボーンがありさえすれば、その結果が思わしくなくとも満たされる。むしろ己が好きのためにこそ労力をかけたいのだ。

 

 美知代は学級委員だった。模範でいなければと思う以上、周りがどう思っていようと、本人の中で発生していた責任はあった。作中では愛季との比較対象としての「ピアノを弾いていた」という書き方だったが、事実美知代もピアノを弾いていた。役割分担して理科の実験がスムーズにできるようにしていたし、他のクラスに比べて遅れが出ないように授業中の環境にも配慮していた。
 全てに「自分のところに返ってくるようなブーメランを搭載」していたところで、実際やったことに対して確かな利は発生していた。もちろん同じことをしたところで、腰を低くしたままでいられる人もいる。けれどそれはまあ大人だ。そう考えれば詰まるところ、美知代はただ感情に素直なだけだったとも言えないだろうか。

 

 自己顕示欲。承認欲求。
 作中美知代の家族構成は描かれていない。けれども例えば長子だとして、弟や妹の世話をしていたら。甘えたい時でもグッと堪えて、代わりに手伝いをしていたとしたら。
 言っても小学6年生だ。周りも同じだけの幼さ故受け入れるキャパがないだけで、本来美知代は集団の中の一個性に過ぎない。役割分担の一角を担っていただけに過ぎない。

 

 私自身、どうにも美知代を切り離して考えることができないのは、単純に喉元ブッ刺されたからという訳じゃない。社会は個の集まりとして、それぞれの得手不得手を補い合う。無意識に同じポジションに並び立つのを避けるのは、争いを避けるための最も人間らしい選択に違いない。
 繰り返す。美知代は美知代で自分の役割を果たそうとしていた。彼女なりの責任を負っていた。ここでもう一つ別のサンプルをあげる。