独り言多めの読書感想文

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付録2、ダイヤの5の言い分【後編】

 美知代が壮太を好ましく感じていたのは、「相似、自分と似たものを持っていて、あるいは今自分の抱えている責任から解放してくれるのではないかという甘えが発生していたため」と仮定してみる。
 見えない。書かれてはいないけれど、弱みを見せられないというのは、それはそれで苦しかったに違いない。常にとりまき二人と行動する美知代は、全く同じ構造の人間関係を持つ壮太に、本当は気持ちの通じる相手に頼りたかったんじゃないだろうか。
 けれど壮太からしたら「自分も持ってるものがあってもしょうがない」。棲み分けできない以上「無意識に同じポジションに並び立つのを避ける」。赤と橙よりも橙と青の組み合わせの方が、戦隊モノでも強そうなのと一緒で、壮太は心地よさに加え、ちゃんと自分にない性質に惹かれていた。

 

 一方美知代視点でその様は「お前はしっかりしてるから一人でもやっていけるよ」と言われるかのごとく。この人になら甘えられると思った相手にそう思われることは、なまじ親しい関係だった分、目の前で縄梯子を外されるかのようで見ていて痛々しい。美知代はきっと高い所から落ちて、どんなに痛い思いをしても泣かない。泣けない。無言で立ち上がって、足を引きずりながら自分の足でまた歩き始める。待ってたって誰も助けてくれないから、自分のことは自分でやる。

 

 そうしてある意味ストイックな美知代が、承認がために鼻を高くすることは、ある種のホメオスタシスが働いていたからとも言えないか。「エコバッグを持参した人がお菓子をいつもより多めに買いがち」な心理と同じで、成果に対する報酬を無意識に求めていたとして、誰がそれを笑えるだろう。繰り返す。美知代の伴奏がどんなものでも、美知代もまたピアノの練習をしていた。一人譜面に向き合う時間は確かにあったのだ。さて。

 

 話を戻そう。
 スペードの3、3は3歳だとして「最低限己が意思を持つ者の目安」と仮定した時、美知代は3歳にして必死で親の手伝いをして、自分を見てもらうために努力していたとしたら。「誉れ」自体、間違いなく親を喜ばせる。見てもらうための一手段になる。そのために「特別」だと思える模範生の立場を死守していたとしたら。
 3は弱い。最弱だ。けれどもそんな3によってたかっていちゃもんつける輩が、じゃあ正義か。集団だから正義か。その正義は一時の退屈凌ぎのためにつくられたものじゃないと言い切れるか。
 この歳で5のカードを持ち歩く私からしたら、どうにも納得がいかない。「構わん。じゃあ8持ってるお前、明日から学級委員な」と言ってやりたい。

 世の中はバランスで成り立っている。多数があるから少数が生まれる。人類の生き延びてきた訳、集団の利。それも一つ。けれど世の中を動かしてきたのは、古くから天皇であり、将軍であり、総理大臣とその側近達。2割に満たない人達の指差す方向に発展してきたことも、今の世がある訳の一つだ。

 

 大人になればそれぞれ優先するものができるし、己が感情一つで優先「できる」ようになる。本当に自分の大切にしたいもののため、自ら集団を離れる時もある。そうして自分で自分に責任を負うようになって初めて気づくこともある。その時になって初めて、本当の意味で美知代が理解される日が来るのかもしれない。

 

 美知代の、いつ誰に聞かれても答えられる情報量。それは日々の情報更新を怠らない勤勉さが下支えしていて、加えて「こっち」と引っ張るリーダーシップ、向上心。エネルギーはあるのだ。ただベクトルの方向が定まっていないだけで。
 だから焦点さえ合えばきっとものすごい力を発揮する。美知代も壮太と同じ「点に強い」タイプだから。

 

 そうしていつの日か安心して笑えるようになるといい。
 競わなくても、自分は自分だと。そうして初めて無理のない、ホメオスタシス通りの集団に巡れる。

 

「その時」はきっと来る。だから大丈夫。
 美知代は私。だから隣でその成長を見ていたいと思う。

 美知代とむつみ、それに私。
 3人いれば、まあ固いと思わない?