独り言多めの読書感想文

⭐️オススメの本について好きにおしゃべり⭐️

偽りの表現者

「初めて見た時バレリーナかと思った」
 ポニーテールにパッションピンクのシュシュ。膝丈のフレアスカートにフラットシューズ。当時から並行して社会人やってた私は、同じ色の日々を過ごしながら、まだどこか自分に夢を見ていて、その潜在的な変身願望が普段ならしない格好を選ばせた。

 23、4歳の頃、地元のフリーペーパーにて短編の掲載をする機会があって、その流れで短編集の販売をした時「作品の絵を描かせてください」と言われたことがある。自身の個展を開催するような画家の人だった。
 1週間開催された販売会で、私が現地に足を運んだのは3日目。初日からずっと待っていたというその人は、すでに私の作品から私の及ばない世界を創造していた。その時生じた温度差。居合わせたのは「一つの作品から自作を生み出す許可を求めた聞き手」と「発散して満足していただけの、中身空っぽの話し手」

 

『地獄の楽しみ方』を読んでいればよかった。
〈読んで面白いなぁと思うこともあるでしょう。──(中略)──その感情は、その小説がもたらしたものではないんですよ。その小説を読んだ読者である皆さんが作り出したものなんです〉
〈そもそも書き手の気持ちなんかどうでもいいんですね。書いてあっても伝わらないんですから。伝わる必要もないんです──(中略)──傑作かどうかは読者によるんです〉
 そんなふうに受け取れたなら、あるいは過剰に反応せずに済んだのかもしれない。

 

 くまのような大柄の男性のとんでもない熱量に腰が引け、この時私はやっとのことで「お時間があれば」とだけ答えた。普段からHSPな特殊能力から人の顔色の機微に依り、未然に事故を防ぐことを徹底してきた私は、だから正面切って人が傷つく様を初めて見た。しかも相手は自分にとって最も大切にするべき人。
 ただ堂々としていればよかった。今更言い訳がきかない以上、「あなた見る目あるね」でよかったのだ。本来盛り込んでないものも、その人の中で補完されてる。作品とは聞き手ありきで初めて完成し、価値が生じる。
 作品自体独立したもの。だからそれをどう受け取るかは聞き手次第。作者だろうとそこに生じた感情に関わってはいけなかった。どんな背景があろうと全て、作品内で完結させるべきだった。

 それは後々、自身が素敵な絵を拝借してわかったこと。素敵な絵を、しかも無償で差し出してくださった方々には、今なお感謝しかない。彼、彼女らは自信があるから、自分と作品をちゃんと切り離しているから感謝だけ添えた。それが正答だった。

 

〈初めて見た時バレリーナかと思った〉
 それは何より自信のなさ故。作品本体に自信がないから自分を飾ることで傘増ししたに過ぎない。無駄な愛想だって同質。自分ではない自分になりたいと思いながら、結局は自分の枠を出られない。3は10にはなれない。その実私は、人に夢を見ることさえ許さないピエロだった。

 

 私自身がどうなんて知ったことではない。
 問題は作品を生み出す以上、人と関わってしまうこと。人の心に関与してしまうこと。
 切り取り線が「私」と「作品+聞き手」の間に引かれている以上、必ずしもそこに作者としての責任はなくとも、不足や意図しないことがあれば未然に直す義務はある。何故なら優秀な聞き手がそこから自分の世界を構築してしまうから。土台がゆるゆるだとその人を巻き込んで事故を起こす可能性が生まれる。だから可能な限り自分の輪郭を把握しておく必要がある。

 一方で自分を好きになることも大事だと思うのは、そうすることでやっと相手を受け入れる余裕ができるから。それはどんなベクトルでも同じ。自分から伸びる矢印全てを研磨する。
 昔「漫画家になりたい」と言った時、母親に「漫画家は頭良くないとなれないよ」と言われたことを思い出す。今ならその意味がなんとなくわかる気がする。何かを生み出すには、生み出す本体がそれだけのものを蓄えていないといけない。3から10は生まれない。だから10に近づけるための努力をするのだ。

 

 せめて自分のテリトリーでもう二度と人を傷つけることのないよう。
 偽りの表現者は、せめて本物になるための努力をするというお話。