付録1、五十嵐壮太は橙【前編】
男女の友人関係を成立させるというのは、ある意味恋人になることよりも難しい案件らしい。アテネパンテオン大学の研究で、男女約300人に統計をとった結果、友人関係とした男性が女性に惹かれるのが68%、女性が男性に惹かれるのが46%で、同性のそれに比べ4倍成立し難いという。それでも男性30%、女性50%残っていれば、理論上全く実現不可能という訳ではなさそうだが。
ただそれが難しいとして、仮に生殖可能な年齢に属する者を「男女」と表現した時、そこに当てはまらないのは子供と高齢者か。いや、70、80の爺さんがわっかい嫁むかえる話をごくたまに耳にすることがあるから、実際純粋な対象は子供だけかもしれない。
早く大人になりたいと思っていたあの頃、失ってからしか気付けないことがある。
本を閉じて目を瞑る。次の瞬間浮かんだのは橙。同じ顔で笑い合った日々。
思い出すのは丸まった背中。体育座りしている前の子の体操服を染め上げていた夕日の橙。夕日である以上一日が終わる頃であり、まだ小学生の殻がお尻にくっついていそうな中学生にとっての夕方なんて「お腹すいた」「眠い」「早く解放されたい」が円グラフの大半を占める。実はこの3つは全く同じ言葉で表現することができる。緩慢な心拍数に噛み殺すあくび。
退屈、である。全方位にひらけた中で、人が集まってつくる監獄。高い空は、飛べない以上意味をなさない。
思えば昔から空が飛びたかった。BENNIE Kが〈「この空を飛びたい」と言ってそろって笑われても──恐くて言えなかった昨日よりはだいぶマシなはず〉と歌う前からずっと。退屈から逃れるために、わざと波立てずにいられなかった程。
永遠に思える長尺にため息をついた時、視界の端に動くものを見つけた。
隣に座っていた男の子が、前に座っている子の体操服にグラウンドの砂を入れている。そうっとそうっと。その様はまるでウォールマリアにつるはしを打ち込むかのよう。やられている本人は気づいていない。それをいいことに、また砂をつまんで入れる。夕日に染まった体操服に、砂の形の凸凹ができてくる。つるはし如きで何がどうなる訳ではないのだけど、男の子もまたこの退屈が耐え難かったに違いない。
気づいたら笑っていた。砂の形に盛り上がった凸凹が、どうしようもなくツボる。
最初こそ声を押し殺して笑っているだけだったが、その内自分もやってみたくなった。同じように砂をつまんでそうっと入れてみる。あ、一応断っておくけど、腰から真っ赤なパンツがはみ出てる野郎相手だ。あくまでこれは嫌がらせではなくいたずら。
男の子は目を丸くした。橙。「何、お前もイケるクチ?」とその口角を上げる。
再び砂を入れていく。そうして自動的に「相手に気づかれたら負け」的ゲームに発展した。途中、体操服がモゾモゾ動き出すことで、ジェンガが大きく揺れた時のようなヒヤヒヤ感を経由しつつ、結局パンツにまで砂が入ってしまったことに慌てた男の子が、声にならない声を発したことで、所業に気づかれてゲームは終わった。
「ぅおおいッ。何してんだよッ」
私は知らんフリをした。男の子だけがめっちゃ文句言われてた。
この場に限り、この子を仮に五十嵐壮太とする。
教室に戻ってみれば、五十嵐くんは隣の席だった。私が窓際一番後ろ、五十嵐くんがその隣。
退屈を持て余した二人の目が合うと何が起こるか。きっと想像に難くない。そう。いたずらを始めるのだ。授業中、五十嵐くんが先生のモノマネを始めたと思えば、私は教科書の端にパラパラ漫画を書いてパラパラーっと見せる。五十嵐くんは反応が良かった。自分が笑わせる一方で、私のすることにもお腹を抱えて笑った。
そうして空気で「ヤバい」と察する力が二人ともあった。その様はまさに「逃げろッ」と脱兎の如く散って、落ち着いた頃にしれっと戻ってくるデッドデイバイライトのアレ。怒るタイミングを逃した先生は鼻息を荒くするだけだった。
時に、まだ小学生の殻がお尻にくっついていそうな中学生が、まっこと男女かというと必ずしもそうではないように思うのは、私の都合のいい解釈だろうか。
人にはそれぞれ成長速度があって、すでにいろんなコトを済ませて15で妊娠した同級生がいた一方、「セックス? 何ソレおいしいの?」とチョコボール食べてる女の子もいた。その隣でポテトチップスをバリバリ食べていたのが五十嵐くんだった訳で、この時私たちは、ただどっちがより相手を笑わせられるかに注力していた。そこに性差はなく、同じ橙の顔で笑っていた。