独り言多めの読書感想文

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文系の独り言〜村木嵐さん『まいまいつぶろ』、『阿茶』を添えて〜

まず引っかかったのは「然り」の対を「不然」と表記していること。通常「然り」の対は「否」であり、不然は中国語の表記だ。人によってはこの2字の間にレ点が見えるかもしれない。

 学校で習ってきた古文、漢文。最終それぞれ全体の4分の1の点数を占めていたものは、けれども昨今「知っていて何だ」という声もあるという。日常生活の役に立たないものなら、その時間を、例えば投資とか実用的なものに使った方がいいという。
 以前どこかで書いたことがあるのだが、私自身思うのは、「そうして実用的なものばかり集めて、効率だけを優先して、最終命を終える時、それらを両手に広げて見てどう思うか」
「豊かさを感じるもの」は十人十色。美しい数式を求める人もいれば、声に出して読みたい日本語を掘削する人もいる。ただお茶を飲むためだけにピタゴラスイッチを作る人さえいるんだから実に面白い。
 ちなみに同作者の著書『阿茶』では、〈「よし。ならば表で遊んでこい。父母在せば」〉〈「遠く遊ばず」〉という父子のやりとりが出てくる。これも論語だ。

 

 古来そうして価値基準は設定されていた。元々の気質、風土が合わなければ、例え入ってこようと定着しない。それらは国民をもって「正しいと思うから」今尚語り継がれている訳で、根を、それを知る機会そのものを奪ってはいけないと思う。それは問答無用にさるかに合戦の握り飯に換える行為に他ならない。
 思い出したのは過去にも取り上げたことのある『文系はクソとか言う奴がなぜバカなのか教えてやるよ』というYouTube動画。要点だけ摘むと「理系は核兵器の核。保有するエネルギーの絶対量が大きく、使い方一つで人を殺すこともできるし社会を豊かにすることもできる。そうしてその力の正しい使い道を考えるのが文系」というもの。
 あるいは実用的なもののために理系だけ育てる環境があったとして、必要最低限、最速だけを取り揃えた結果何が起こるか、いよいよ想像がつくだろう。

 

 9月4日、原発の処理水廃棄の問題で、それまで連日日本のどこかで中国人からの嫌がらせの電話が鳴り響いていた。「国内の問題から目を背けさせるために国外の問題を取り上げる」というのは、何も中国だけがやることではない。そうして国として日本を擁護する声を報道上黙殺する中で、けれども中国人を名乗る人から「同朋がごめんなさい」という連絡があったと日本のメディアが伝えた。
 国はただの箱に過ぎない。言語も個性に過ぎない。大事なのはいつだって個々の意思。やさしくされたらやさしくする。助けられたから助ける。それは国や時代、立場を問わない。いくらすごい技術で一人一台個人情報携帯するようになろうと人間の本質は変わらない。

 

 勝手に区切るな。国も、言語も、障害あるなしも。
 必要なのは相手を受け入れる「余裕」思いやる想像力。
 そうして私たちはもっとやわらかくなっていいと思う。