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【1、小学6年生の大人】朝井リョウさん『スペードの3』読書感想文


 幼少期に描く夢。将来何になりたいの?
 そんな遠いところなんて見えない。描いたとて実際叶えるのはどれだけの人か。
 そんな大それたものじゃない。欲しいのは「心地よい今」そうしてそれが続く日々。

 

 挫折経験が大きな成長を生むのは、一度マジで死にかけるからだ。このままでは生きていけないという危機に晒されて、全力で回避する。できることなら誰だって馴染んだものに親しんでいたい。だからこそ成長、変化する機会に恵まれなかったというのは、ある種の不幸でもある。人は大人になるのではない。ところてん式に「成ら」される。そうして大切なものを守りたいと願った時、人は強く「成る」
「その瞬間」は突如訪れる。スタートラインは決して横一列ではない。

 

 主人公である美知代の不幸は、だから「変化する機会に恵まれなかった」こと。しっかり者だったのだろう。本人なりの責任感もあったのだろう。けれども学級委員をやっていた小学6年生、二人のイエスマンを従えて〈私が動かしている〉と思っていたあの頃ありきの、20代後半になった美知代は、かつての同級生から〈「美知代ちゃんは、この世界で、また学級委員になったつもりでいるの?」〉と問われる。

 

 理想の仕事にはつけなかった。けれど関連会社で働くことで理想の近くにいようとした。現実は実に厳しい。でもそれこそが自分の本当の輪郭だと受け入れられずにいる美知代は、自分がまだ「特別な存在」であると信じている。
 挫折は、なくはなかった。けれど見つかっていないと思っている。人前で転んだ訳じゃない。本人にとってそれは「ちょっと擦り剥いただけ」。本当は誰より自分が分かっているのに、自分にとって都合のいいところだけ切り取って、それこそが本当の自分だと思い込もうとしていた。まだ居心地の良かった小学6年生のままの社会を形成できると思っていた。

 

 一方で、美知代は不幸なだけではなかった。彼女には見てくれる人がいた。散々見下してきたむつみという存在だ。
 クラスメイト全員から避けられるような存在のむつみを仲間に入れることで、自分の評価をあげていた美知代。深淵。その様子をむつみも見ていた。(自らを特別な存在とし、)集団に馴染まない同属の美知代を。
 もしむつみがいなければ、大人になって再会しなければ、美知代は本当に一人になるところだった。美知代が見下していたように、むつみも美知代を見下しながら、けれども

 

〈「私は、呼び名を変えるところから始めたよ」〉
〈「自分を、自分のために変えたくて、そこから始めた」〉

 

 むつみはそう言い残した。
 機会に恵まれず変われなかった、あるいは気づかず大人になってしまった美知代に、自分自身の体験を話した。
 実は「アドバイス」されたこと自体は、6年生だった当時にもあった。相手は学級委員の座を奪った転校生。

 

〈美知代ちゃん、なんでもひとりでやろうとしすぎだよ〉

 

 傍にいるとりまき2人は、いつだって賛同するだけだった。それはそうした方が自分達にとってラクだったからだ。そうして本当に美知代のためを思ってかけてくれた声を、美知代は素直に聞き入れることができなかった。この時はとにかく自分の居場所を守るのに必死だった。
 じゃあ小学6年生の時聞き入れられなかったものを、この時聞き入れられたのは単に大人になったからか。否。それはむつみの言葉が「アドバイスのようでいてアドバイスではなかったから」
 実体験。それは同じ辛さを味わった者による「共感」
 むつみはむつみだけれど、美知代の目から見える世界が想像できた。むつみは美知代の動きを限定した訳じゃない。身動きの取れない人が、最初の一歩を正しい方向に踏み出せるように「私はこっちに歩き出したけどね」と自らの体験を伝えたに過ぎない。それはプライドの高い美知代が受け取りやすいよう、最大限に配慮されたエール。
 最終、美知代が同僚の男性に向けたセリフがその変化を象徴している。

 

〈「──さんは悪くありません」〉

 

 それまで自分を守ることに必死だった美知代が、初めて相手に重きを置く。それまで傷つかない場所、枠組から出ることができなかった本人が、自ら踏み出す。
「──さんは悪くありません」は「悪いのは自分」と表裏一体。
 自分を守ることは相手を傷つけること。この時美知代は、初めて自ら傷つくことを選んだ。そうして

 

〈呼び名を変えるくらいしかできないほど弱いカードで、自分から、戦い始めるしかない〉

 

 腹を括る。目を逸らしていた現実。冴えない日々の、冴えない自分。
 けれども輪郭を認めて初めて自分を受け入れることができる。加えて、どんな些細なことでもいい。「自分にもできた」というのは確かな自信になる。挫折体験に重なる成功体験。それは確実に自分を高めていく。

 

 これは誰にでもある話。
 今の輪郭を認められない。自分にとって都合のいいところだけ切り取って夢をみる。そんな生き方も悪くない。皆が皆強い訳じゃないし、やりきれないこともある。
 ただ言えるのは、時間は有限であること。本当に大切な人に出会ってしまった時、圧倒的に手遅れになる可能性があること。そうしてちっぽけな勇気が、いずれ誰かを助けるための一歩のなり得ること。

 世界の何を変えられなくても、自分の見ている世界は変えられる。それだけは一人一人に搭載された「特別」なのだ。

 

 

 

 

 

 

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