独り言多めの読書感想文

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half loversアンコール②陽だまりの午後 3月19日(土)14時~〈後編〉



 手に取って間近で見た手は、離れてみるよりずっと大きくて、皮膚が厚くて、ごつごつしていた。平らで横に長い爪。激しい鼓動は変わらず、それでも少しずつ少しずつなじんでくる。少しずつ、少しずつ。

 少女は男の手のひらと手のひらを合わせると「全然違う」と言って眉を下げた。
 その向こう、合った目は笑ってはいなかった。
 いつだってそうだった。いつだって男は少女より長い時間、相手を見つめていた。
「・・・・・・そうだな」
 射すくめられる。激しい鼓動はそのまま、完全に動きが停止する。
 息がしづらい。広いはずの居間が急に狭くなる。
 こくり、と動いたのど。男は合わせた手をつかむと、全く表情を変えることなく「ちいせぇ」と言った。
 つかまれてしなる指。痛くはないけれど、確かに小さな自分の指先は、大きな獣に捕まえられたウサギの耳のように見えなくもない。
 少女が答えに窮すると、男はその指先に唇を押しつけた。
 跳ね上がる。もはや小動物並みの心拍数を刻み続ける心臓。そらせない目。まっすぐな愛情表現に、喜びよりも不安が勝る。少女はまだ、この男の持つ空気に順応できていなかった。それでも、そんなこと男には関係ない。
 どこか他人のもののように見つめる自身の指先、その手を引くと、少女を懐におさめる。
 固い身体を熱い体温がほぐそうとする。
 もはや不安を通り越して、警報を出し始めた少女の身体は、その肌触りのいいニットの一部を掴んで、頑なに閉じたまま。たまらず男は声を発した。

「・・・・・・もしかして、こうやって会う度にこんなにガッチガチになっちまうのか?」
「そ、そんなつもりじゃ・・・・・・」
 もちろん少女とてそんなつもりはない。けれどもじゃあすぐに解凍できるなら、誰も苦労なんてしない。気を抜けば一瞬で焼かれてしまうような、そんな熱を感じ取っていた。
 自分がどうなってしまうのか分からない。
 すさまじいまでの他力。影響力。自分の輪郭が分からなくなる。自我が消える。本体そのものをこの人に乗っ取られてしまいそうな恐怖。
 そうして奪うだけ奪っておいて、この人はまた帰っていくのだ。絶対に触れることの叶わない、遠い地へ。
「真琴」
 ドクン。
 これだから嫌だ。
 揺さぶれる。心が。魂が。
 おそるおそる上げた顔。その先で見たものは
「頼むから、大事にさせてくれないか?」
 ドクン。
 予想だにしなかった、寂しそうな表情。
 揺さぶられる。思い出したのは、水族館に行った日の帰り、
 大きなこの人が、自分よりずっと大きな力を秘めたこの人が、とてつもなく無防備に見えたこと。
 自己防衛は本能。本能で拒絶されることに、ただ純粋に傷ついていた。
「大事にすること」の労力の出所は、この男自身。懇願する。エネルギーを使いたいと申し出る。少女のために。
 頑なに握りしめていたはずのこぶしが、そっとゆるみ始める。
 少女は自分よりずっと不安げな男を見上げると、その胸に頬を寄せた。
 ずっと目は合わせてられない。それでもあなたを拒絶しない。
「大事にしたいと思う気持ち」を受け入れるための努力。
 ゆっくり息を吸って、吐く。少しだけ冷静さを取り戻した耳が気づいたのは、深く鳴る心臓の音。いつだってそれは、少女と同じような早さで音を立てていた。
 頬がゆるむと同時に抜ける肩の力。
「飛鳥さん」
 まだ呼び慣れない新鮮な音。男は「ん、」と答えると、続く言葉を待った。少女は目をつむって全ての神経を耳に集中させると、つぶやくようにして言った。
「あったかいですね」
 陽だまり。徐々に低くなっていく光源。増えていく影。それでも今、この瞬間は
「そうだな」
 この世界のどこよりもあたたかい。そんな気がしていた。







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