独り言多めの読書感想文

⭐️オススメの本について好きにおしゃべり⭐️

【水溜まりを軽やかに飛び越えるように】芦沢央さん『汚れた手をそこで拭かない』

〈力を入れるのは誰でもできるけど、力を抜くのは意識しないとできないんだよね〉


何のことない。そんな風に教えてくれたのは馴染みの歯科医師。口渇。仕事中、緊張や水分補給が疎かになることによって乱れる口内環境。そんな時、頬を膨らませるだけでも唾液は分泌されるのだと実際にやってみせてくれた。力を抜く意識。それは何も口内環境に限った話ではない。

 

「重い」という表現がある。それが「負担」と言い換え可能だと知ったのはつい最近のこと。最も短く、最もダメージを与える言葉として私の中にインプットされているこの単語を、時折取り出して眺めては「そうかなぁ」と思う。「そうだろうなぁ」とも思う。
 念のため断りを入れるが、そもそも重いこと自体、悪いことではない。何かを好きになること、それを愛でる行為は、人を介して勝手にその人にとっての好きなものに変換されるから。ただ、その表現法、深さ、密度というか、ギッチギチに詰め込んだものは息苦しい。情報量が多い、というのは純粋な負荷。それは受け取る側の容量を軽く越える可能性がある。そうしてそこは「それだけ受け入れられるキャパを持っている」云々より「今、受け入れる気があるか」という、気分にこそ大きく左右される。さて、

 

 今回紹介する芦沢央さん「汚れた手をそこで拭かない」この作品の美点は「至ってシンプルであること」「シンプルな短編集であること」
 シンプルかつ短編なら、例えばお風呂に入りながら、とか、待ち時間とか、何となくスマホと過ごしている時間をアップグレードしやすい。気負わずに済む。大体、ラクできるもんならラクしたい。本当に琴線に触れるものに出会った時、力を発揮できるように。だから「手軽」に「補給」できるものはコスパにおいても非常に優秀。


 ただ、こう書くことで「安易」で「低俗」なイメージに分類されてしまう可能性があるので除外しておく。逆だ。この作品は、言葉選びは、組み合わせは、表現法は、一貫して洗練されている。一切の無駄がない。たぶん本当はもう少し深められるものを、書いて、書いて、書いた後、削れる所まで削ってる。削ぎ落として残ったもの、精鋭部隊。結果として凛とした雰囲気を纏ったものだけがその場に残った。もちろん必要な情報に不足はない。軽薄でもない。それ以上にその情報の出し方がものすごく効果的で、最も力を発揮してくれる場所に個々を配置している。私がこの作品を読んで、まず受け取ったイメージは「この作者、絶対めっちゃ頭いい」だった←頭悪そう 


 例えるなら、ジグソーパズルがあって、もう始めからはめる場所が決まっていて、そこに抜かりなく収めた感じ。深さ、密度。重量、適正。余白があり、見る者に圧迫感を与えない。行き届いているが、束縛感はない。少し離れたところから見ると「ああキレイだ」と思う。

 

 何というのだろう。精密ゆえ感じる息苦しさ、圧を、例えば「若さ」と称した時、その次の段階、例えばベテランが軽く足並みを揃えるような余裕。そう。この作品から感じるのは余裕。淡々と積み上げた基礎に、ほんの1滴彩りを垂らしたような。これはあくまでも私の感覚だが、上記、余裕と称したのは、同作者「今だけのあの子」と比較したものだ。決して面白くない訳ではない。けれども本棚に残っているのはこの作品だけであり、その違いはただそれだけのような気がする。タイトルから推測できる通り、後味の良いものではない。それでも洗練された美しさに、思わずこの作品を書き上げた後の作者の足取りを追ってみたくなる。きっとしれっとカフェでコーヒーでも飲んでる気がするから。その頬は曇り空に照らされている。

 

 さて、読書感想文というよりか「『読了感』想文」になってしまった。一文も引用がないなんてどういうことだ。盛大に言い訳させてもらおう。あくまで私個人の感覚だが、この作品は全体で一つの良さを構成している。ジグソーパズルの1ピースを眺めて「ああキレイ」とはなかなかならないように。だからこそ、ぜひ実際に読んでみて欲しい。シンプルで短編だからオススメもしやすいんです。この苦味の効いた後味は、きっと癖になる。

 

 

 

 

 

 

 

【次回更新は9月2日(土)です】