独り言多めの読書感想文

⭐️オススメの本について好きにおしゃべり⭐️

【あなたは嫌いでも私は好きなので】浅野いにおさん『ソラニン』


いにおはきっと、自分が生み出したはずの作品「ソラニン」が嫌いで、本当は自分が伝えたい音ではないのに、売るための作品を世に放った。結果不本意な注目のされ方に、けれど事実その作品によって生かされる現実に、嫌気がさしたというよりかは溜まりに溜まった鬱憤を晴らすべく出したのが「零落」なのだろうと勝手に受け取っている。

 

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自作にその名前を拝借するほど同作者のファンである私は、おこがましくとも10年以上前から呼び捨てで彼を書き綴っている。不快に思われる方もいると思うが、愛情表現の一種なのだと寛大な心でご容赦いただきたい。この距離感だからこそ書けることがあるのだ。

 

いにおはきっと、自分が生み出したはずの「ソラニン」が嫌いで、けれども私が「ソラニン」を愛し続けていることもまた確か。青年期の悩みや葛藤。分母の多い共感は、それぞれ個々の経験に置き換えられ、昇華されゆく(朝井リョウさん『少女は卒業しない』参照)結局本棚に残るのは血の行き交う作品群であり、主張が強すぎたり、深すぎたり、エッジがきき過ぎたりするとそれだけ読み手を絞ってしまう。それでもこだわりたかったんだろう。

 

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おやすみプンプン」や「うみべの女の子」はそれはそれで好きだし、「ひかりのまち」も「虹ヶ原ホログラム」もいいと思う。けれどやっぱり「ソラニン」に代えはきかない。第一印象。私にとってのいにおはずっと「ソラニン」だ。私は。

 

ソラニン」を読んで、自殺した友人を生かせることを知った。自分の筆で、自分勝手に、自分の解釈で、その時を書き留める。
標本。人生の内、最も大切な大学4年間を、最も傍で過ごし、最も話をしてきた生き証人。その袖を、死して尚引くことができる。与えて、奪ったその半身。私にはそれを書き残せる手がある。目がある。頭がある。伝わらなくても伝えたいと思う意思がある。好きだと声高に叫べる喉がある。それを教えてくれたのは他の誰でもない、いにおであり「ソラニン」だ。

 

「零落」の帯に書かれた「浅野いにおの時代が終わる」の文言。終わらない。私の中で終わることはない。この物語は現在進行形で続いている。何年経とうと色褪せない。そんな作品に出会えたこと、心から幸せに思う。

 

語りが過ぎた。いい加減「独り言多めの」ではなく「ほぼ独り言の」に変えなければいけない。毎度お付き合いありがとうございます。

 

それでは、良い読書ライフを。

 

 

 

 

 

 

【次回は8/26(土)8時くらいに投稿予定です】