独り言多めの読書感想文

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独り言多めの読書感想文【下】『野の医者は笑う』

 

 

 さて、「少しだけ」著者の魅力に触れておくとしながら長くなってしまったが、己の半生丸々否定されたハカセは、じゃあ絶望して、絶望した原因である世紀の発見を本にすることで生計を立てることにした訳ではない。
 この人はちゃんと復職している。ものすごくタフで、己の反省丸々否定された事実を、まさかの就職活動の採用面接で堂々口にする。
 察するに、元いた世界、それまで自分にとって当たり前にいた場所で、世紀の大発見を聞いて欲しかったんじゃないかと思う。だってそんな比較の話できる相手は沖縄にはいなかったし、したとて真剣に聞いてくれる相手なんて「この人採用して大丈夫かな?」と真剣に吟味する人くらいだと思ったんじゃないかと。
 

〈「問われるべきは、こういう怪しい心理学と臨床心理学がどう違うか、です。それこそが臨床心理学教育です!」〉

 
 そうして、自分がくらったダメージを丸々相手に与えた。こうまで繊細な文章を書く人が、とんでもない暴挙に出た訳である。相手によっては当たり屋扱いされてもおかしくなかった。このことを著者は〈臨床心理学が立っている地面を揺ら〉すと表現し、私自身「波を起こす」に限りなく近いニュアンスを感じた。
 
 ここで唐突に学問という言葉が出てくる。
 

〈学問というのは本質的に常識を疑い、自分自身を疑うものだ〉

 
〈自分自身の常識を疑い、自由な議論ができること、それが学問の条件〉であり、自分がやってきたことは一体何だったんだ、と半生丸々否定された著者だからこそ、そこから生まれる言葉に説得力がある。
 
 それは決して人一人の問題ではない。分母である心理学者を一人残らず否定することになったかもしれない案件だった。
 地面を揺らすということは、人の人生に作用してしまうリスクをはらむ。相応の覚悟がなければできないし、やってはいけない。話を戻す。

 
 じゃあ治療とは何か。
 薬の成分か。それもある。けれど、それだけではない。
 リハビリか。それもある。けれど、簡単にできるものではない。
 生活習慣か。それもある。けれど、それができたら苦労はしない。
 人は、弱い。ズルくて可能な限りラクして生きたい。傷つかずに済むのなら極力傷つきたくない。何でもいいから褒めて欲しい。認められたい。それで人の役に立って、あなたがいないと困ると、ウソでもいいから言われたい。そうしたら、あるいは不治の病も治せるかもしれないから。
 
「この薬飲むと良くなるから、あなたは大切な人だから元気でいてほしい」
「怖いよね。嫌だよね。不安だよね。でもここで頑張れたらどんどん良くなっていくから。良くなったら一緒に出かけよう。どこに行こうか」
「別に100%じゃなくてもいいんだよ。でもできたら教えて。すごいねって言うから」
 
 極論これが『野の医者』の治療で、薬はラムネでもいい。
 例えば何の資格も持たない私が、正面から患者さんと向き合う。この時点で彼彼女の置かれている現状は何も変わっていない。けれど結果的に踏み出した一歩の影響が大きければ、それは治癒に大きく貢献する。そんな論理。
 するとにわかに「野の医者=ペテン師」説が浮上するが、これを否定することは著者も難しいと言う。最初に話した通り、結局人柄で相性だからだ。さて。
 
 著者はそうして地面を揺らした結果、ちゃんと元いた場所に戻ってくる。
 野の医者の治療がその場を乗り切るための「夢を見させるもの」である一方、きちんと基盤を築いてきたハカセが行う治療は、苦しい現実に立ち向かえるだけの精神状態に戻す。 
 患者自身が自らの足で一歩を踏み出せるよう、傷つく覚悟を負える力をくれる。ニュアンスとしてケアとセラピーに近い。どっちも大切で、大事なのはバランス。
 
 すごいのはハカセである著者自身が、まるで野の医者を侮っていないこと。素直に治療のもたらす効果を認め、自身を見つめ直すきっかけにしていること。異物を取り込む。それは固定観念にとらわれ、己の地面を揺らす覚悟がなければできないこと。
 根本やわらかいのだ。やさしさとは柔軟性。やさしい人は相手の立場に立って物事を考える。相手の立場になって考え、そこから今の自分を見つめ、再び己の視点で、今度は少しだけ別のものを見つめる。己も相手も軽んじない。上手に足し引きをする。
 


『野の医者は笑う』
 思いっきり野の医者側である、何者でもないペテン師が笑う。いい本だったと。
 学術書にしてはエッセイ臭が強くて、ハカセにしては何だか危なっかしくて、結婚してる身にしては自由すぎて、(巻末「謝辞」にて〈それから家族、特に妻へ。ほんとにどうも、いろいろとご迷惑おかけいたしました〉と記しているが、「いろいろ」が想像を絶することは想像に難くない)そんな人が書くものだからこそ思う。そんな人となりを好ましく思ったからこそ思う。
 

 治療とは何か。
 知りたければあなたも行ってみるといい。著者なりの治療と治癒、それに資本主義(マーケティング)による傷つきにも言及している。たった1000円で受けられる施術で、時間はそうだな、2週間もあれば充分だと思う。
 学術書なんて堅苦しいものじゃない。研究助成プログラムの授賞式のパーティー会場の片隅でエビチリと会話するような話で、あ、そうそう、作中この作品を描き始めた時のことが記されてるから、文体紹介ついでに引っ張っとくよ。
 

〈それまでは硬い学術論文を書いていたのだから、こういう気楽な文章を書くのは楽しかった。私は解き放たれた野鳥となった。自己イメージでは火山から復活したフェニックスだったが、はたから見れば興奮剤を飲んだブンチョウだったことだろう。
 羽ばたくようにキーボードを打ち、歌うように文章を書き散らした。湯水のように愚にもつかない文章が溢れてくるので、「やっぱり俺は天才だったんだ」と何度ほくそ笑んだことか〉

 
 人となりからついハカセであることを忘れる。分かりみの深さに親しみが優ってしまう。「涙と笑いの学術エンタテインメント」。最後は笑わせた者勝ちだと思うんだけど、いかがだろうか。